ウイークリー瞑想
2週間近く前に最上川の隠れ家に入りました。すべてが雪に
覆われていました。よくこの雪の中で生活していると驚くのです
が、生活している人は当然のことように活動しています。昨年もこ
の時期に来ていますので、今年の雪の多さには地元の人も驚いてい
ます。すぐに大阪と関東での奉仕に出かけました。今度は、雪はな
いのですが、雪で冷え切った北風が山を越えて平地に冷たく吹いて
いました。昨晩遅くまた隠れ家に戻ってきました。朝から雪は降り
続いています。天には尽きることのない雪の源があるかのようです。
幻想的な雪景色は心を洗ってくれます。洗い清めてくれると言う
より、心が雪景色にとけ込んで、風雪で灰色の心が流される感じで
す。自分の心の動きを、雪景色を見ながら観ているのです。心のど
こかにある暗いイメージが、目の前の雪景色が反映しているので
す。降り続いている雪景色が、見続けていることで心の深くに入り
込んでくるのです。陽がほとんど出てきません。照り出された雪景
色は目を開けられないほどのまばゆくなります。いま目の前に広
がっている雪景色はどんよりとした、押しつぶされそうな感じで
す。それでも生きなければなりません。
今回はヨナの怒りを通して、心にある怒りを取り上げています。
自分の怒りに、ヨナの怒りを認めることで、自分で触れる作業で
す。ヨナの不信仰を責める必要はありません。正直に怒りをぶつけ
ることで神とのパイプが広がるのです。心のうちにある怒りを神に
持って行くことで、自分の心が開かれ、神との交わりが広がってい
くのです。それでも怒りを認めることは辛いことです。覆い隠し、
あたかもないかのよう振る舞い、そのように教え、教えられてきた
からです。怒りは見えないように深く潜行しています。死火山だと
思っても地下深くでマグマは静かにうごめいています。マグマです
ので温まりを持っています。まるで人を温めて、その人の人格にま
でなっています。
しかしその心は、ヨナが通過した三日三晩のあの魚の腹の真っ暗
闇を示しています。一寸先も見えない暗闇で、ただ自分の心に語り
かける以外にないのです。闇の向こうには静かにうごめいているマ
グマが見えます。そこに触れることになることになります。とても
慎重に触れるのです。気をつけないと爆発を起こすのです。触れて
あとはじっと見つめる以外にないのです。そんな場面に時々出会い
ます。心の深くのマグマに気づいてたじろいでいる姿です。それを
見ている自分に驚いているのです。そんな戸惑いの表情を垣間見ます。
目の前の雪景色が変わってきました。太陽に照り出されたまばゆ
いばかりのパノラマが展開しています。山並みの雪が浮き彫りにさ
れ、木々の雪もこんがり焼き出され、畑の雪は真新しいジュータン
のように引き詰められています。心の景色が明確になってきまし
た。空と山が切れ、山々と畑の境が出てき、木々のあり場がはっき
りしてきました。鳥たちがこの時とばかりに飛んでいます。
上沼昌雄記